聖書と自己開示「関係の中に生きる者として」

自己開示のもともとの意味

2021年の内閣府の統計調査によると、日本人の約8割の人が人間関係に何かしらの悩みを抱えているとの統計結果が出ました。

多くの人々が人間関係に悩みを抱える中、解決の糸口を見つけるための人間関係に関する書籍が売れ、ベストセラーになったりするほどです。そんな人間関係を扱う書籍には、「自己開示することが信頼関係構築のためには大切である」と書かれる傾向にあります。

自己開示という言葉は、もともとはキリスト教神学で用いられていた専門用語です。

自己開示のもともとの意味は、神が、神ご自身の性質や目的、計画を人に知らせることを意味する言葉です。

聖書は、神が人間に対して自己開示した書であり、また人間が神に自己開示した書でもあります。

神の自己開示は、歴史上、様々な場面で行われてきたことが聖書を読むとわかります。中でも、自己開示の決定的なものは、イエス・キリストの誕生、存在そのものです。私たち人間は、このような神の開示がなければ、神様がどんなお方であるのかを知ることはできませんでした。

このように、自己開示という言葉の意味は、神から人、人から人へと派生し、人間関係においても用いられる言葉となりました。

私たちが普段使っている自己開示の意味は、自分のことを他者に伝えること。それは自分の生い立ちや、特技、強み。他にも、過去の失敗や、悩んでいることも含めて、そのままの自分を相手に伝えることです。相手を知らないと人間は警戒心を抱く傾向があるので、自己開示は良好な信頼関係を構築するのには欠かせない重要なポイントです。

また、そのような自分以外の存在との関係作りの積み重ねが、最終的には自分のあるべき姿に近づくための大切なプロセスの一部となってきます。

神様が自ら、自己開示という方法を通して人との関係を深めようとした。そんな関係を大切にする神の存在は、自己開示という言葉の意味を深く知ろうとすればするほど色濃く見えてきます。

聖書が語る自己開示のプロセス

聖書には「わたしはあなたに真実を告げる。あなたが自分の罪を互いに告白し、お互いに祈り合うなら、あなたがたは癒される。(ヤコブの手紙5:16)」という言葉が記されています。

ヤコブの手紙の著者であるヤコブは、マリヤとヨセフの子で、イエス・キリストの血縁関係にある兄弟でした。ヤコブは初代教会を監督するリーダーでしたが、教会は問題が山積していました。ヤコブは問題解決のために色々な人と関係を深めつつ、様々な人の協力を得て問題の解決に努めた人物でもありました。ヤコブは、神と人、人と人との関係の回復に尽力した弟子とも言われています。

この聖書に書かれている自分の罪とは、過去に犯した過ちや失敗だったと思える行動の動機となった、その時の自分の心の状態のことです。そして、その罪を告白するとは、その時の心の状態を相手にわかりやすく伝えることを意味しています。つまり、過ちだった、失敗だったと思える行動の背景にある自分の考えや感情などを他者に伝え、自己開示することを意味する言葉です。

次に、祈り合うとは、聴いた側の人間は、その内容に関して、今後どうすればよいのかを共に考えることを意味します。

自己開示することにより、自己開示を受ける側は、相手の考えや人となりが理解でき、警戒心も解かれやすい状態となり、相手を信頼しやすくもなります。自己開示をしてくれた人に対して、真剣に関わっていこうという思いが働くようになります(心理学ではこれを「返報性の法則」といいます)。その結果が「祈り合う」という行為につながっていきます。

そして、祈りの先には、癒しがあります。聖書でいう「癒し」とは、何かが治ること以上に、「手当=関係の回復(友情がはぐくまれる)」ということを意味します。何か(傷など)が治ることは、関係回復の延長上にある副産物としてとらえられます。

神から人に自己開示した例

・出エジプト記3章から4章では、 「わたしはある者である」と神がモーセの前に現れ、自分の名を告げたことが書かれてあります。神はここで、ご自分の力や知恵、愛を表現することで、神の存在や性質を人間に自己開示されました。

人から神に自己開示した例

・ヨハネによる福音書20章24節から29節では、トマスという人物がイエス・キリストの復活を疑っていたことが語られています。トマスは「彼(イエス)の手に釘あとを見て、実際に自分が指で触り、彼(イエス)のわきに手をさし入れなければ信じない」と言って、自分の正直な思いを神に伝えました。トマスはその正直な自分の気持ちを伝えたことで、より神との関係を深めていきます。

他にも、聖書には自己開示の例が多く記されています。自己開示することは、神と人、また人間同士の関係を深めることに直結します。

自己開示で得られるもの

相手との信頼関係が築きやすくなる…自分の本音や価値観を伝えることで、相手も自分に対して思いや考えを共有したいと思い、同じように自己開示をしてくれる可能性が高まり、信頼関係も築きやすくなる。

自分の悩みを軽減する助けになる…自己開示をすることで、自分の内面を言語化し、問題などを整理しやすくなる。また、相手からの助言を受けることで、新たな視点や解決策を得ることができるようになる。

目標などを明確化する助けになる…自己開示することで、相手からの評価や感想をもらえるので、より自分を客観視でき、自分一人では得られない自己認識や自信などを高め、より自分の能力を伸ばせる。

自己開示をする際に注意したい相手

自己開示には注意したい相手もいます。例えば、以下のような場合です。

・プライバシーや秘密を尊重しない人

・感情や立場に配慮しない人

・責任や問題を他責化する人

・欠点や失敗を過度に否する人

このような人に話してしまったら…後悔しますよね。

しくじり先生から学ぶ自己開示

しくじり先生というテレビ番組があります。過去に大きな失敗を経験した芸能人などが先生となって、自身の体験を赤裸々に語る内容の番組です。

失敗体験などはなるべくなら人に言いたくない、知られたくない部分です。しかし、その部分を素直に伝える姿に人はなぜか心打たれます。自分の心の代弁者として親近感がわくからかもしれません。

また「俺のようになるな!」と、失敗談を話して終わるだけでなく、冷静に当時の自分の失敗を分析をし、自分がどのように変わっていったのかも話してくれます。

自己開示によって、周りに勇気を与え、そこからよりよい関係の輪が築かれていくこともあります。

関係の中で生きる人間と自己開示の重要性

聖書には「神は愛なり」という言葉が記されています。また、「人間は神のかたち・神の似姿に造られた」ということも記されています。愛とは単独では存在せず、何かと関係するときにはじめて成立します。神がその愛の対象である人間を、神ご自身に似せた者として創造したという事実からも、人間は「関係」の中で生きる存在であることがわかります。

神は全知全能の存在として聖書には記されており、お一人でどんなことでもできる存在ですが、あえて関係の中に生きることを選ばれているのは、関係の中で生きることこそが、完全な存在としてのありようであり、そこから新たな喜びが生み出されることを示しているのです。神の似姿をもつ者として創造された人間も同じです。

しかし、その反対に、孤独の中で生きることはどうでしょうか?聖書には、孤独を恐れる人間の姿も記されています。聖書において「死」とは肉体の死とともに、「永遠の孤独」という意味を持つ言葉でもあります。人間が死を恐れるのは、関係の中で生きるように造られたはずの人間が孤独になることであり、恐れるのは当然のことです。

※2022年に実施された内閣府の調査で「孤独であることを恐れる」と回答した人が、3人に2人いたという統計がでています。また、「孤独死」を恐れる人も3人に2人の割合であることが示されています。

死という、永遠の孤独というものの存在が、この世に生を受けた人間には誰も避けられない現実です。

けれど、神は関係の中で生きる人間を死で終わらせることはありません。神と人との関係が築かれるときにうみだされるのもは死んでも生きる命の源であり、死に打ち勝つ希望でもあります。

飾らない自分の姿を安心して共有できる誰かに出会えることはとても尊く、試練の中でもその出会いによってその試練を生き抜く力を得ることができます。

関係に生きる者として創造された喜びを人生の土台に据え、人生を歩んでいきたいですね!

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